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利根川屋・Tonegawaya

佃煮

佃煮こそは生活の知恵の産物であり、
          また保存食、健康食である。

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生い立ち
 世界的にも日本料理に視線が集まり、寿司がブームになった時もあるが、握り飯や佃煮が流行ったとはまだ聴かない。
 真の日本人は大の米好きで、それには佃煮がよく似合う。

 店主は『佃煮こそは日本人の生活の知恵の産物であり、また保存食、健康食である』と持論を述べる。

 大正2年、創業者が現在の中区花咲町2丁目音楽通りに開業したのがはじまり。

 茨城県稲敷郡河内村の出身。当時の大型名刺によると「登録商標えび霞煮発売元」とある。出身地一帯では利根川が、2、3年おきに決壊したという。
 江戸時代の寛文6年(1666)幕府は特秘命令で印旛、手賀の二大沼の干拓を計画したが、うまくいかなかった。
 明治21年になり、国と県による新利根川水利事業が進められたこともあり、関東の穀倉水田単作早場米地帯となった。

 この決壊によって、稲がダメになったところに育った川魚類のもろもろを佃煮にしようと考えつき実行した。それは霞ケ浦でとれるハゼ、ワカサギ、シラウオであり、また川エビ、タナゴ、フナ、ウナギなど、かくて、えびのあられ煮、鮒のすずめ焼、えび鬼がら焼、はぜの佃煮など京浜間の業者への卸売を始める。

 戦時中、創業者が亡くなり、戦後は元の場所 で出店。(佃煮・煮豆)の製造を軸とし、デパートに出店。
 佃煮、煮豆、惣菜の専門店として進物小売販売を行っている。進展ぶりをみるに昭和初期、伊勢佐木町1丁目イセビル下に出店。

 一時は野毛に店をつくり、次いで横浜高島屋食料品売場・港南台高島屋食料品とともに開店当初から出店。
 昭和49年に営業所を金沢区に移転後、現在に至る。

profile

利根川屋

〒236-0051
横浜市金沢区富岡東6−30−B104
TEL:045-775-1149
URL:無し
定休日:日・水曜日、祝日
営業時間:10:00〜18:00
交通:
京急本線:京急富岡駅から徒歩5分